家ですることがないわけではない
まあ彼氏が出て行った最近の私ですが、じゃあ一人時間を充実しようってなるじゃないですか。まあ、やることがない。いやまああるんだけど。編み物とか絵を描くとか最近は陶芸にめちゃくちゃハマっているので、粘土遊びをしたり。最近はマイブームがホロコーストなので本を読んだり映画を見たりして、時代の恐ろしさを感じている。おすすめの本は夜と霧、映画は関心領域です。
絶対的な自分がわからない
私って3人姉妹で姉と妹がいて、放課後は常におばあちゃんちにいたんですね。何かあれば話を聞いてくれる人がいたし、粘土で何か作ったら褒めてくれる人がいた。ちなみに絵を好きになったきっかけは幼稚園の愛先生が私が牧場でやぎにレタスを手渡している絵を描いたらめちゃくちゃ褒めてくれて、私って絵が上手いんだな、人を幸せにする絵を描くんだなって調子に乗ったことがきっかけです。
常に人がいる環境で育ったせいなのか、ガーっと一人になって何かやってても、2時間くらい集中した後にフィードバックや雑談してくれる人を求めてしまうんですね。作業電話ではなんだか足りず、もちろんありがたいけど。
自分の意見とかもなんかそんな感じで、絶対的な自分の意見を持っているのかたまにわからなくなる。何かの話題に対して、大抵何かのフィードバックを友人や家族がくれるし、それに納得してしまう。なんなら同じような話題をTwitterで調べたりして、いろいろな意見を見て、それを自分に吸収してしまう。
そう考えたら、自分は常に相対評価で相手に合わせながら生きているだけで、絶対的な自分、絶対的な意見って長年持たずに、持つことを学ばずに育ってしまったんじゃないかなと感じる。
相対的な自分とかの話は以前もしたけど
おやけGPTを作った際に相対的な自分と絶対的な自分の格となる物の話はしたが、いまだに懐疑的である。博愛とかひとり遊びが苦手とか言うけど、極度な不安症で常に安心したいだけなんじゃないかなとか、でも不安って一人でも二人でも抱えたりする。私は私を人間として見ていなくて、信用していないから、誰かにそれを常に養って欲しいのかなとか。
自分は相手が持っているブランドものを欲しがったりはしないし、他の人の服や食べ物を羨ましいと思うことが少ない。しかし、ライフステージとか長期休みに旅行に行くかどうかとかは確かに、意思決定に影響しているような気がする。それはうまくいっている人の通りになぞれば自分もそうなれると思っているからか?自身のある人を見て、自身のあるその人になりたいと思っているだけなのかもしれない。
SNS断ちはすごくいい
最近は暇だしインスタを再インストールしてしまったが、SNS断ちはすごくいい。リールやストーリーを見て、みんなキラキラした日常を送っているから自分もそうしなくちゃっていう焦燥感というか負けん気がなくなるし、ひとり遊びせざるを得なくなる。
ただ、SNSに載せたいから綺麗にデコレーションしていた料理などは一切作らなくなり、私の主食はウィダーインゼリーと化してしまった。しかしこれが時間もかからず効率がいい。私は料理が好きなクリエイターですと名乗らなくても良いんだと思うとほっと安心する。
Twitterもしばらく見ていない。Twitterを見なくちゃこの職業柄流行や潮流に乗り遅れるのではないかと危惧していたが、LINE NEWSで事足りるし、そんな細かく見なくちゃいけない潮流なんてもはや無いに等しいのを勝手に自分で仕事を増やしていただけだったような気がする。SNSを見る代わりに息をするようにスイカゲームをするようになってしまったのは、また別の機会にお話ししたいと思う。
