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THEME 02

私の性格は?おやけGPTレポ

就活よりも真面目に自己分析をやってみた

自分の性格をプロンプト入力してGPTをカスタマイズするやつをやってみました。FBくれた方々ありがとう。
おやけGPTって、結局私自身が私をメタ認知してプロンプトを入力してるわけですが、

「多分私は他の人と比べて掃除機の掛け方が超雑だから大雑把な性格だろう」
「上司から『明るいから何とかなるよ』っていう謎の励ましを受けてるから多分明るい性格なんだろう」

とか思いながら、明るくて雑な人としてプロンプトをうちながら、自分の文章に近づくように語尾を調整したりしました。  
でもそれって、相対的に比較してる「私」であって、絶対的な「私」ではないな、というか。なんというか。

思考実験的に悩んだりしている

例えば、パンツ一丁で歩いてるおじさんが自分のことをめちゃめちゃ誠実な人だと思い込んでたとして、本人は

「でもちょっと変な趣味があるだけ」

と思い込んでる。でも世間一般から見たらその人を一言で表すと

「変態」

になるじゃないですか。究極論ですけど。
 
なんかそんなことを考えてると、「私」を作り上げているのは自分ではなく他者なのではないかなと思ったりします。自分と他者の繋がりによってコネクションが生まれて相互作用の中に「性格」が生まれる。  
だからつまり、空気も何もない空間の中にただの鉄を置いたら酸化などを観測できず何も変わらないはずなので、時間の経過を観測できず、つまりそこに時間という概念は存在するのか?という思考実験にも少し似ています。多分。社会的性格論的なものにも似ている感情です。 多分。
だからまあ、私って私だけでは作られてないのに性格を自分で決めつけるなんて無理があるなと思ってGPTを作ってみたわけです。そして色々な方に触ってもらってFBをもらうことで、私という私を再認識するということです。

俯瞰的な性格把握の次に必要だったこと

そこまでのプロセスは良かったのですが、そこでもう1段階プロセスを挟むべきで、それを踏まえて私は何なの?というプロセスです。  
私は明るくて雑な人物かと思ってプロンプトを打ってみたけど、結構みんなからすると乖離があって、「笑いすぎ!」とか「毒舌が欲しい!」とかFBをいただき、プロンプト修正してみたりして、それで他者から見た私が何となくざっくりわかってきました。
また、単純にAI経験が乏しいためにプロンプトライティングに苦戦したこともあるかもしれませんが、自分の性格を細かく載せることよりも、思い出に関連して自分の選択方法を指示した方が自分と近い意見を持ってくれたりして、記憶や思い出がこれだけ自分の意思決定に作用しているのかとAIを通して勉強になりました。

そしてここまでのAIとみなさまの協力のおかげで自分の性格を俯瞰的に捉えることができましたが、核心となる私自身が私をどう考えているのかというところが私は足りていないと思いました。

まずは自分のいつものスタンスについてお話しさせてください。
このOYKZINEの目的にも関係していますが、私が人と話すときに意識していることがあって、

“相手が気になってくれるまでは自分の話をしすぎない”

ということです。

完全心を許している友人たちには別ですが、飲みの場ではまず自虐ネタ以外は自分の話をしないようにしています。なぜなら人って自分の話をしている時が1番楽しくて、“どれだけの量楽しく発言できたか”が会話の点数だと考えています。どれだけ相手が楽しく長話をできたかが、いつも私にとっての会話の目標なのです。デートで言えば、相手のスマホのバッテリー残量がデートの点数ってやつと似ている理論です。

だからOYKZINEというものはコンテンツとして思う存分自分の話をしてみようという私自身のわがままな意図が込められていました。

話は少し逸れましたが、私は「他人とのコネクションの中に私の性格が生まれる」という考え方が強すぎて、自分自身がどういう人なのかという分析が自分で全くできていなかったのです。
また、デザイン思考が過ぎているのかもしれませんが、何事も一言で説明できるよう言語化すべきだと思っていました。敷いては、「私は〇〇なひと」って、一言で的確に何事も言えるべきだと思っていました。だから表面的な行動や他人からの評価で「私は明るくて大雑把な人」と思っていたのです。

夜中2時に電話で相談  

そこで私の友人に夜中2時に突然電話して、カウンセリングをしてもらいながら行ったのがNVCというものです。これは心理的に自分を再解釈するという試みです。  

方法は簡単で、直近で心揺さぶられたことを書き出して、それに対する感情を書いていく。それに付随する過去の記憶も書いていって、似てるものは括ったり、足りないものはもっとディスクライブしたり、最終的にあなたの根底にある大切な価値観を導き出すというもの。  

私が心揺さぶられた瞬間として真っ先に思いついたことはほとんど全部、誰かが私と一緒にいた時に何かをして感動したとき。私も横にいて、いいなーって思ってた感情がもっと爆増した瞬間。例えば綺麗な星を見た時、正直田舎育ちの私は綺麗な星なんてたくさん見たことがあったけど、隣にいた都会育ちの友人は私が「今上見てみて」と言って上向いた瞬間に膝から崩れ落ちて、そのまま地面に寝っ転がって、「きれ〜〜!!」と叫んだんです。私は星が綺麗だったことより、その行動があったからその瞬間が心揺さぶられる瞬間になったなと。  
そんなこんなでポジティブネガティブ両方の“心揺さぶる瞬間”を考えては、昔の思い出や私の感情と結びつけて行きました。

その結果、私の性格を一言で表すと「博愛」でした。

全ての事象を等しく好きだし、その弊害として、同じだけの感情を心を許した相手に持ってもらえないと悲しくなる。全てが好きだから悲しくなる母数が多いということ。でもそんな悲しくなっている事実も後から愛せるから、博愛なんだなと。
別にそれが分かったから何かあるというわけでもありませんが、分かったら自分が何かの選択に悩んだ時に答えを見つけやすいし、選んだ選択肢が正解になるように自分自身を導きやすいなと思っただけであって、何でもないんですけどね。ある意味明るく大雑把なのも、何をされても結局は楽しめるしどうなってもその場を愛しているからある意味合っているのです。
ただ、今後の道標を見つけれた気分でいい感じです。

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